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會津守護神

土津神墳鎮石

鬼門鎮護

鬼門鎮護

東北の日光

正之公は、この地が若松城(鶴ヶ城)の丑寅の方角(鬼門)にあたることからこの地に眠ることで會津藩を守ろうと考えたようです。

創建当時のお宮は、重厚な感時門や廻廊、透塀などを持つ荘厳華麗な神殿造りの社殿で、徳川家康公を祀った日光東照宮になぞらえて「東北の日光」や「奥日光」、「裏日光廟」と称され、東北の諸大名は参勤交代の折りに日光東照宮とともに必ず立ち寄っていたそうです。

現在のお宮は、明治13年(1880年)に再建されたものです。

平成28年に大須賀清光作の『土津神社図屏風』が発見されました。戊辰戦争で焼失する以前の土津神社の姿を描いたものです。これまでも当時の姿を描いた絵図はありましたが、奥津城と一緒に、かなり引いた視点で平面的に描かれたもので、下記画像のようにお宮に焦点を当て、立体的に描かれたものは貴重です。的場や宝殿、神馬舎などの姿も見て取れます。

會津五社寺

嘉永5年(1852年)に會津の総合番付「若松緑高名五幅対」が発行されました。先に紹介した大須賀清光が制作者とされており、會津五桜(高名桜)も記載されています。

この「若松緑高名五幅対」に會津五社寺(御家元)として「見禰山御神社(=土津神社)」が記載されています。

<御家元>
見禰山御神社(土津神社)
蠶養國神社
伊佐須美神社
柳津虚空蔵
日新館聖堂