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ご祭神

主祭神  保科正之

會津松平家初代藩主・保科正之(1611〜1672年)。

江戸幕府初代将軍・徳川家康公の孫、
二代将軍・秀忠公のご落胤、
三代将軍・家光公の異母弟。
幼名「幸松」。
母は秀忠公の乳母の侍女・お静。

秀忠公の正室・お江の方は、非常に嫉妬深く、秀忠公に側室を持つことを認めなかったため、お静の方は密かに男子を産み、武田信玄公の娘の信松院や見性院に匿われて育ちました。

7歳で信州高遠城主保科正光の養子になり、21歳で高遠3万石、26歳で山形最上20万石、33歳のときに会津23万石の城主になりました。

それから会津藩は、三代藩主正容から松平姓となり幕末まで続きました。

相殿神  會津藩歴代藩主
相殿客神 高良玉垂大明神

■相殿神
仏式で葬られた二代・正経公を除く會津歴代藩主が相殿神として祀られています。
正之公は幕府より松平姓を名乗ることを勧められていましたが、養育してくれた保科家への恩義を忘れず、生涯保科姓を通しました。
三代・正容公になって松平姓と葵の紋を使用し、親藩に列しました。

<相殿神>
松平正容:會津松平家三代藩主
松平容貞:會津松平家四代藩主
松平容頌:會津松平家五代藩主
松平容住:會津松平家六代藩主
松平容衆:會津松平家七代藩主
松平容敬:會津松平家八代藩主
松平容保:會津松平家九代藩主

■相殿客神
高良玉垂大明神は、武内宿禰(たけしうちのすくね)の神号で、武内宿禰は第十二代〜第十六代の各天皇に仕えたという伝説上の忠臣です。
紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏など中央有力豪族の祖ともされ、記紀神話においては、歴代の大王に仕えた忠臣像、長寿の人物像、神託も行う人物像等が特徴として描かれています。
応神天皇のとき、武内宿禰が磐椅山の山頂に祭神を祀ったことから磐椅神社が創建されたとされており、土津神社が磐椅神社の末社であることと、徳川宗家への忠義の心が篤かった正之公を始め、その家臣たちも忠臣であったことから祀られたものと考えられます。