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ご神紋

並九曜紋|會津三葵紋

篤い信仰と
歴史を現す象徴

篤い信仰と
歴史を現す象徴

並九曜

初代・保科正之公
二代・保科正経公

會津藩保科家の家紋が「並九曜」です。
正之公は幕府より松平姓を名乗ることを勧められていましたが、養育してくれた保科家への恩義を忘れず、生涯保科姓を通しました。

『保科御由来記』に「いにしえは天人の子であり、ある時産屋にさした星の光を、絹を隔てて見ると、丸九曜の如くであったことからこれを紋所とした」とあり、「保科」の姓とその家紋は「星」を起源としています。

會津三葵

三代・松平正容公
四代・松平容貞公
五代・松平容頌公
六代・松平容住公
七代・松平容衆公
八代・松平容敬公
九代・松平容保公

葵紋は、双葉葵を図案化したもので、徳川宗家が使用する三つ葉葵を「徳川葵」と言います。
天禄9年(1696年)、三代・正容公のときに松平姓と葵の紋を使用し、親藩に列することになりました。

會津松平家では「會津三葵」を用いており、葉の模様に違いがあります。
徳川葵が根本から蕊(しべ)が描かれているのに対し、會津三葵は中心の葉の中心から蕊が描かれます。

また、蕊の数は1枚あたり十七、十九、二十一と時代を経る毎に増える傾向がありましたが、当神社では戊辰150周年にあたる平成30年(2018年)に戊辰当時「十七蕊會津三葵」が使用されていたことから、これを公式の神紋と定めました。